(19) 宇部鉄道(小野田線) 子持御前

こもちごぜん
 営業キロでは雀田起点1.5Km地点ですが、1.6Kmポストの近くに駅跡がありました。 下り列車では左手、踏切の手前に盛土があり、ホームへ上るコンクリート製の階段があります。 駅名となった子持御前は1Km以上西方にあります。 雀田・長門本山間の開業時の昭和12(1937)年1月21日に設置されましたが、宇部鉄道の他の多くの廃駅と同じく、昭和18(1943)年5月1日の買収時に廃止されています。
019子持御前
訪問日2002-12-29
スポンサーサイト

(18) 宇部鉄道(宇部線) 長生炭鉱

ちょうせいたんこう
 宇部線床波・常盤間の海沿いには荒地が広がり、所々に炭鉱住宅の廃屋があります。小郡起点19.7~19.8Kmの間、 線路北側にコンクリートの基礎が残っています。ホームがあったのは写真の左側で、線路奥側が小郡方になります。海側には「長生炭鉱殉難者之碑」があり、 昭和17(1942)年2月3日朝、海底坑道が崩落し183名の死者が出たとあります。古老に拠ると、事故当日海面から水柱が上がったそうです。殉難碑の数10m西方には斜坑の巻揚機の土台の残骸がありました。廃止になったのは、宇部鉄道の国有化と同時の昭和18(1943)年5月1日です。
018長生炭鉱
訪問日2002-12-29

(17) 信越本線 〔旧〕春日山

かすがやま
 昭和3(1928)年10月26日に開業しましたが、平成14(2002)年12月1日、400m直江津寄りの現在地に移転しました。これは、上越市役所最寄りにするためのものだったようです。画像は北望したもので、左手がホーム跡地で、使われなくなった駅前ロータリーも残っていました。
017春日山
訪問日2007-10-21

(16) 三岐鉄道 北勢線 六把野

ろっぱの
 平成17(2005)年3月26日、西桑名起点9.1Kmにあった六把野も整理の対象になり、代わりに9.7Km地点に東員が設けられました。画像は阿下喜方を望んだもので、ホームは撤去直後のようでした。
016六把野
訪問日2007-9-5

(15) 三岐鉄道 北勢線 坂井橋

さかいばし
 近鉄から三岐鉄道に譲渡されてから、大きなテコ入れがなされましたが、なかでも駅の統廃合が多く実施されました。平成17(2005)年3月26日、西桑名起点5.0Kmの在良・七和間にあった坂井橋を廃止し、5.5Km地点にに星川を新設しました。画像は、西桑名方を望んだものです。
015坂井橋
訪問日2007-9-5

(14) 養老鉄道 〔旧〕烏江

からすえ
 牧田川橋梁の架替え及び河川改良工事の関係で、平成9(1997)年10月1日、桑名方に100m移転し、駅は高架化されました。旧駅時代にも訪問していますが、堤防上の狭い道に踏切があり、そこに接して小さな駅舎があり駅員もいました。あまりに大規模な工事のため、旧駅の面影は全く残っておらず、ここでは、一部保存された明治21(1888)年英国製のダブルワーレントラスの写真を添えておきます。
014烏江
訪問日2007-9-4

(13) 遠州鉄道 遠州新村

えんしゅうしんむら
 さぎの宮・積志間の、現さぎの宮から400m北の地点にありました。画像は北望したもので、駅の敷地がはっきりと分かり、資材置場として活用されているようです。さぎの宮の移設と同日の昭和47(1972)年10月1日に廃止されましたので、駅間距離の適正化を図ったことによる廃止と思われます。
013遠州新村
訪問日2007-3-31

(12) 遠州鉄道 〔旧〕さぎの宮

さぎのみや
 行き違い設備新設による移設駅で、旧駅は200m南にありました。画像は南望したもので、ホームはどうやら線路右手(東側)にあったようです。昭和47(1972)年10月1日に、現在地へ移転しました。
012さぎの宮
訪問日2007-3-31

(11) 井笠鉄道 両備国分寺

りょうびこくぶんじ
 井笠鉄道の廃線跡は、直上に井原鉄道が建設されている部分が意外と多いため、ルートから外れている笠岡方面を除くと、痕跡は思いの外少ないです。そんな中、さすがは公団建設路線だけあって直線が多いので、曲線部で取り残されたのが両備国分寺です。写真右手に雑草の中から僅かに見えているのが、ホームのコンクリートで、背後の高架が井原鉄道です。画像は東望。大正11(1922)年4月9日両備軽便鉄道によって開業、その後井笠鉄道に合併され、路線廃止の昭和42(1967)3年31日に運命を共にしました。
011両備国分寺
訪問日2007-2-12

(10) 京福電気鉄道 北野線 北野

きたの
 北野線は現在北野白梅町が終点ですが、昭和33(1958)年9月15日までは、西大路通を通り越して東進し北野まで行っていました。というのも、北野線が開業したのが大正14(1925)年11月3日であるのに対し、後から昭和18(1943)年に西大路通が開通し、交差することになったからです。もはや痕跡は残っていないのですが、写真の左手の建物(宗教施設)の敷地が、駅跡だったようです。
010北野
訪問日2007-1-20

(9) 大分交通国東線 杵築祗園

きつきぎおん
 大分交通国東線の廃線跡を訪ねた折、杵築祗園付近で現地の古老から往時の話を伺っていると、あるお宅に招き入れられました。そこは大分交通OBのお宅で、運賃表が飾ってありました。遠く青森、仙台まで連絡運輸があるのには大変驚きました。廃駅の遺構自体はありません。大正11(1922)年7月7日開業、昭和41(1966)年4月1日の廃線と運命を共にしました。
009杵築祗園
訪問日2005-8-21

(8) 南海電気鉄道 南海本線 深日

ふけ
 みさき公園から1.1Km和歌山市方へ行った所に、古びた対向式ホームが残っています。下部構造はレンガ積みで時代の古さを感じさせます。開業は明治31(1898)年10月22日ですから頷けます。昭和19(1944)年6月に旅客扱いを中止し貨物専用駅となり、昭和20(1945)年6月11日には休止、昭和33(1958)年4月9日に廃止申請をしています。廃止実施日は確認できませんでした。画像は、和歌山市方を望んだものです。
008深日
訪問日2002-11-23

廃駅について

Ⅰ. 廃駅の種類
 廃駅と言いましてもその種類は様々です。ごく一般的なのは、路線が廃止になったことによるものが、第一に挙げられるでしょうし、その数は膨大です。
 次に、路線は現役なのに、廃止された途中駅です。私の興味の大半はこの種の駅です。それは、余り一般には知られておらず、知る人ぞ知る幻の駅と言った感じが、調べる醍醐味を味あわせてくれます。
 3つ目は、駅は現存しているが移転したものです。大きな移転ですと、実質的には、駅の新設と廃止とも言えるほどですが、時代が古くなると、意外に実施日などの記録が残っていなかったりして、調査に難渋します。
 それから、廃駅ではありませんが、消えた駅名として、改称というのがありますので、これも取り上げたいと思います。
 以上が、私の興味の対象である廃駅たちです。

Ⅱ. 廃駅の調査法
 まず廃駅の存在を知らなければ、どうにもならないのは当たり前のことです。手っ取り早く見つけるには、新潮社から刊行された『日本鉄道旅行地図帳』を参考にできます。同書の編集には、小生も協力させて頂きました。
 私は約25年廃駅めぐりをしていますが、参考にしたのが、鉄道省が発行していた『鉄道停車場一覧』です。これには、各鉄道の駅名・営業キロ・住所が掲載されています。じっくり読んでいると、見慣れない駅名が目に飛び込んできます。
 次に、国土地理院の旧版地形図を用意しますと、駅の位置が特定できます。現役路線の場合、運転室後ろに陣取って線見をし、キロポストの確認をし駅の大よその位置を見当付けます。現地に行くと、地元の古老から聞き取りをしますが、経験上なるべく男性に尋ねるようにしています。なぜなら、女性の場合嫁入りしてきた場合が多く、地元の生まれでないことがあるからです。他に、市役所や役場で尋ねるのも有効な手段です。ただ、口碑というのは誤りもありますから、複数人に聞くのがいいでしょう。他に、郷土資料、古い市街地図などの調査には、地元の図書館が欠かせません。

Ⅲ. 主要参考文献
・JTB,『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』,1998年,JTB
・鉄道院・鉄道省・日本国有鉄道,『鉄道停車場一覧』,各年版
・和久田康雄,『私鉄史ハンドブック』,電気車研究会,1993年
・国土交通省鉄道局監修,『鉄道要覧』,電気車研究会,各年版
・宮脇俊三・原田勝正,『JR・私鉄全線各駅停車』,1993年
・『鉄道省文書』
・鉄道各社社史等
・国土地理院『2万5千分1地形図』等
・各種市街地図

Ⅳ. 最後に
 国鉄に関しては、『鉄道公報』という一貫した基礎的参考資料がありますが、私鉄にはそのようなものは存在せず、『鉄道省文書』や『官報』、更には社史等を個別に調査するしか手立てがありません。それだけに、個人での調査には限界を感じています。また、現地でなるべく聞き取りによる確認をしておりますが、少なからず誤認があると思います。ですから、何かお気づきの方は、忌憚のないご意見、ご批判をお知らせ下さると幸いです。

(7) 南海電気鉄道 和歌山港線 水軒

すいけん
 南海和歌山港線、いえ、和歌山県営鉄道と言った方が良いのでしょうか。南海は第2種鉄道事業者でした。昭和46(1971)年3月6日に和歌山県の肝入りで開業した区間ですが、実質的には貨物輸送がまともに行われなかったようで、税金の無駄遣いでしょう。平成14(2002)年5月26日に廃止されました。
007水軒

訪問日2005-7-30

(6) 南海電気鉄道 和歌山港線 〔旧〕和歌山港

わかやまこう
 和歌山港駅は高架上にあり、デッキで港と結ばれていますが、かつては違う場所にあったのはご存知でしょうか。和歌山港線が開業した昭和31年5月6日、当初は地上駅で今より和歌山市寄りの位置にありました。移転理由は想像になるのですが、フェリーの大型化に伴って港が拡張され、港と駅は昭和46年3月6日に現在地に落ち着いたと思われます。
006旧和歌山港
訪問日2005-7-30

(5) 鹿島臨海鉄道 居切(貨)

いぎり
 鹿島サッカースタジアム起点7.5Km地点にありました。鹿島サッカースタジアム方に、ポイントだけ残っています。貨物輸送実績が全くないまま、昭和53(1978)年11月1日に廃止されました。神栖へのイベント列車運転時に撮影しました。005居切

訪問日2007-10-20

(4) 水島臨海鉄道 五軒屋

ごけんや
 福井・浦田間に五軒屋という駅がありましたが、その当時は福井、浦田は開業していなかったため、正確には西富井・弥生間ということになります。五軒屋は昭和43(1968)年10月休止、昭和51(1976)年12月廃止という過程を辿りましたが、その後沿線開発が進み、昭和63(1988)年に浦田、平成元(1989)年に福井が新設されましたから、その機能は代替されたとも言えるでしょう。写真は北望したもので、ホームは左手にありました。木製電柱は当時からのものです。
004五軒屋
訪問日2007-3-8

(3) 長崎本線 目達原(仮)

めたばる
 目達原仮停車場と聞いて、ピンとくる方は少ないかも知れません。というのも、昭和2(1927)年4月2日に設置され、同18年12月1日に廃止されていますから、当然でしょう。この駅は、中原・三田川間にありました。旧三田川町役場等で聞き取りしたお話では、現在の自衛隊駐屯地付近に競馬場や花見会場があり、その行楽客のための駅だったそうです。写真は、新宮田(しんぐうでん)踏切11K773Mで、左が中原方、奥側の線路右手にホームがあったそうです。(当時は単線です)営業キロは、11.7Kmでしたので、概ね一致します。
003目達原
訪問日2005-10-21

(2) 呉線 〔旧〕川原石

かわらいし
 川原石は現存していますので、これは移設跡です。平成11(1999)年2月7日に列車行き違い設備設置のため、海田市方に0.5Km移転し、廃駅跡が生じました。旧ホームは写真左手、山側にありました。また、この裏手に駅復活記念碑があります。というのも、昭和15(1940)年11月1日に運輸営業を停止しており、戦後地元の請願で昭和31(1956)年9月1日に復活したからです。
002川原石
訪問日2006-8-2

(1) 阪急電鉄 〔旧〕伊丹

いたみ
 阪急伊丹線は、塚口から北へひたすら真っ直ぐに敷設されています。しかし、伊丹の手前で高架に上がる所から、ふいに、西に少し首を振ります。実は、大正9(1920)年7月16日の開業時は真北へ直進していました。ところが、昭和43(1968)年11月9日に伊丹駅が現在地に高架化される際に、少し西側に移転したわけです。写真は、旧駅構内から南望したもので、奥に現在線の高架橋がちらりと見えます。
001伊丹
訪問日2013-9-10
プロフィール
廃止路線だけでなく、現役路線の中にも人知れず廃駅が眠っています。そんな廃駅の現況や歴史を、ご紹介したいと思います。

hossy

Author:hossy
廃駅ではありませんが、改称されて消え去った駅名も、取り上げたいと思います。

最新記事
最新コメント
FC2カウンター
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR